山岡 昌治 MushRoom@恵比寿

―山岡シェフは、もうこの世界に入られて長いと思いますが、この世界に入られたきっかけをお伺いして宜しいでしょうか?
実家が松山で、八百屋を営んでいましたから、幼少の頃から他の人に比べれば、食べ物に縁のある環境でしたね。学生時代は男子校の進学校で、いい大学を出ていい就職をするのが当たり前の時代で、高校時代に東京に引っ越すことになりましたが、勉強に身が入らなくなった。学生時代、その後デザイン関連の学校にも通いましたが、アルバイトをしていて、勉強より仕事をすることの方が楽しくて一生懸命でしたね。22歳の時、バイクで事故に遭い、自分の今後のライフワークをどうするべきか真剣に考え始めました。長く続けられて、本当に自分がやっていけるもの、それには手に職をつけること、だと思いました。その頃、世間ではフレンチ料理がもてはやされ、フレンチシェフが非常に脚光を浴びていました。小さい頃から漠然と外国で仕事がしたいと思っていましたし、フレンチシェフだったら、成功したら道が開けるかもしれない、今後の仕事としてもやっていけるのでは、と直感しました。
―確かに、その頃のフレンチ料理のイメージは、料理ジャンルの中でも高級で一般的ではないジャンルですよね。日本人のフレンチシェフ自体が珍しい時代なのでしょうか?
確かに注目され始めた頃で、フランスへ行って修行して戻ってこようと思いました。まずは調理師学校へ通い、その後新橋で、元丸の内ホテル総料理長の元で、3年近く働き、ヌーヴェルフレンチ料理のブームが始まりました。
―フレンチは確かにブームになった時期がありましたね。それからはどのように?
元々、フランスへ行く事を目的としていましたから、お金を貯めて27歳でフランスに行きました。フランス語も独学で勉強しつつ、最初の働き先は研修紹介会社に頼みました。とにかく1からのスタートのつもりで行きました。4年半、フランスで料理店で働きながら勉強しました。もっと居たいと思いましたが、将来的には自分のお店を持ちたいという夢がありますから、30代に入りこれから日本に戻り、帰って何が出来るかの保証も無い訳ですから、条件も厳しいと感じました。フランスで一緒に働いていた日本人の友人が僕が帰る1年前位に日本に帰って店をオープンし、手伝ってほしいということで日本に帰りました。それからその店を手伝い、また知り合いの紹介で南麻布の店でシェフとして任され、銀座や自由が丘のフレンチの店でも働きました。それから自分の店の準備を始めるわけです。
―今から15年前の飲食店の出店となると、現在と条件など相当違うと思うのですが?
僕がフランスにいた頃は、日本はバブル全盛で、山の手線内で店を出そうと思ったら1億円(笑)と言われ、かと言って田舎の松山じゃフランス料理店は出せないと思っていました。僕が日本に帰った頃は、バブルが崩壊し始め、今なら出せるチャンスだと思ったんです。

―物件探しは、恵比寿と決めていらっしゃったのでしょうか?その頃の恵比寿はどんな状況だったのでしょうか?
その頃の恵比寿は商店街のイメージで、八百屋、魚屋、肉屋など庶民的な街の印象でしたよね(笑)、あとは恵比寿と言ったらラーメンを食べに行く街とか(笑)。有名な店としては、キッチン・ボンさんとかでしたね。既に固定客がしっかりついている安定したお店ですよね。他はガーデンプレイスもまだないし、街自体が庶民的でしたよね。
恵比寿にした理由は、もともと自由が丘の店で働いていたり、目黒の料理教室の講師で通っていたので、目黒周辺地域の商圏として恵比寿、広尾、中目黒などで探していました。
―物件は個人で探されたのでしょうか?
基本的に個人です。ただ色々な方からの紹介はありました。最初に紹介してもらった恵比寿の物件は今より少し狭い物件でしたが条件が良かったので進めるつもりでしたが、工事初日に区役所の方が来て、工事中止の命令が出ました。駐車場利用しか出来ない物件だったようです。結局スムーズに行きませんでした。その時既に今のこの物件も気になっていた物件ではあったんですが、賃貸で家賃は高かったし、1階で探していたので、ここは表示は1階ですけど、どうみても2階だから(笑)とか全部が条件は希望通りとはいきませんでした。でも、進めようと思っていた物件がボツになったし、器材も既に用意していたし、スタッフも2名抱えていましたから、条件面は気になる部分もありましたが、ダメもとでオーナーに電話したんです。
―気になりますね(笑)物件は居抜きだったのでしょうか?
スケルトンでした。前は物販でしたが、その前に飲食関係だったようで、ダクトがついていたので、これがあるだけでも十分コストが抑えられる条件でしたよね。オーナーさんに電話した時、「フランス料理ですか?それなら相談にのります」って言われて、ビルのイメージアップになるならフランス料理であれば、、と条件も安くしてくれたので、結果ラッキーでしたね。
―そうですね!スタッフも2名既にいらっしゃるということで、あとは着々とオープンに向けて・・・
当時のスタッフは、僕以外2名も料理人で、サービスがいなかった。だから自分が表へ出てサービスしました。だから大変でしたね(笑)接客サービス以外の掃除なども全て自分でやりました。厨房は予め出来るソースの仕込みや、デザートの仕込みなどもしていましたが、手の込んだ料理がほとんど出来ませんでした。当時は5000円のコース料理も用意していましたが、アラカルト主流のビストロのようなお店でしたね。店内もそんな感じでしたね。

―ビストロというイメージが今のお店からは想像がつきませんね(笑)
ところでマッシュルームという店名は、オープン時から決めていらっしゃったのでしょうか?
最初はマッシュルームにするつもりはなかったんですよ(笑)もっとフレンチっぽい横文字表記のかっこいい名前にしようと思っていましたが、なかなかピンとくるものがなかった。でも覚えやすいし、フランスできのこに興味を持ってコンセプトは決まっていたので、マッシュルームにしました。でも最初は、フレンチのガイドブックに掲載しても、店名の説明で3行位とられたり、お客様からも何料理の店かとの問合せも多く、店にいきなり入ってきて「ホット2つ」と喫茶店に間違えられたり(笑)
―色々なご苦労があったんですね。山岡シェフがきのこに興味を持ったきっかけ、お店に活かしたいと思った理由をお伺いしたいです。
フランス人がキノコ好きで、フランスで未知のきのこを多く知り、興味を持ちました。そして日本に帰ってからも自分できのこを取りに行くようになりました。自分の店を出す時は、キノコは美味しいし、体にもいいけど、ほとんど利用しているお店が少ないし、料理人同士でもきのこの話を出来る人がいない、知識を持っている人もあまりいない、自分は興味があるから図鑑を読み、勉強しました。日本では圧倒的に、秋の素材の一部という扱いだったので、1年を通して、多くの種類、キノコの魅力を紹介したいと思いました。
―なるほど。。それがマッシュルームという店名に繋がったのですね!
さて、オープンして15年という長い時間で、お店としても色々な変化を経てきたと思いますが、記憶に強く残っている出来事などあれば教えて頂けますか?
最初の5,6年は私がホールもやり、厨房とホールと両方兼任でしたから大変でしたね。7年目の時、今ホールを任せている女性が入ってきてくれたことで、僕は厨房に専念出来るようになりました。それまでは厨房に入りたくても入れない、自分の提供したいものが提供出来ない、売上が上がっても全然満足出来ない訳です。でも6年間ホールをやってみて、すごく勉強になったのは、クレームなどの反応がダイレクトに自分に入る―、誰も僕をシェフとは思ってないわけですから(笑)。この経験を生かして厨房に入り、良い素材で自分が満足出来るものを使い、2000年には店を全面改装し、ワインセラーも作り、厨房、ホールの作業工程も効率良くしました。料理の種類も増やし、グレードも上がって、ワインとチーズの注文の数が変わりました。やはり売れる人がホールに出ると売れる。そして顧客の満足度も変わりました。一見さんが減って、紹介、クチコミ、リピート客が増えました。
おかげで、ここ数年売上はずっと右肩上がりです。お客様が安定してきましたからね。お客様の信用は一度無くすると取り戻すのにとても時間がかかるのを知っていますから、今は、色々な経験、時間を経て、お店としてとても良い状態ですね。
―15年という時間で培ってきた、現在のお店のスタイルが確立したお話は、実際にやられてきたことだからこそ、リアルな言葉の重みを感じます。
最後に、山岡シェフから、今後飲食店で独立を考えている方に、アドバイスがあればぜひお伺いしたいです。
「店を営業する」ということは、どういうことか。広い目で全体を見れるようになりなさい。と私は言います。いくら料理が良くても、他が0(ゼロ)だったら、店はすぐ潰れます。万が一、スタッフがいなくなれば、自分で接客もしなければならない、ワインの知識もなければ売ることも出来ない。これらを踏まえ、自分の人生だから手助けをしてくれる人がいるかもしれないけれど、全部自分で責任を持ってやることを自覚すること、途中で投げ出さない、誰かが助けてくれると思わない、誰もやらなくても俺がやる、自分がやるという覚悟が大切です。
また飲食店としての魅力は、軸がぶれないことが大事です。自分の店の個性、ポリシー、何が売りなのかを、お客様に自信を持って、妥協せず、提供出来ること。そして商売という気持ちだけではなく、好きでないと出来ません。これは息の長いお店として継続できる、一番のポイントですね。
【山岡オーナーシェフのお店のこだわりのもの】

やはりキノコの存在なくして、このお店は語れません。「今日のキノコを盛り合わせましょうか?」とさりげなく用意して頂いたのですが、その見たことのない種類に圧倒されました!日本で見慣れたもの以外に、ヨーロッパ各地、南アフリカのものなど、旬のキノコの仕入れに驚きです。アミガサタケ、タマシロノタケ、エノキタケ、ハナビラタケ、トキイロヒラタケ、モンゴルシメジ、ジャンボマッシュルーム。。。。聞いたことのない種類にカメラマン共々目が点でした(笑)また、キノコってキレイだな、と感じたのも新しい発見です。
【インタビューを終えて】
とても気さくに、たくさん色々なお話をして頂いた山岡オーナーシェフ。1つ1つの言葉には、長きに渡り飲食店を経営されてきたご経験からの、飲食店経営のノウハウのエッセンスのキーワードが溢れていました。フランスに渡り、キノコに出会い、キノコの魅力を日本で伝えるべく、試行錯誤しながら経営されてきたお店は、今はわざわざ遠方からも足を運ぶお客様が増えているそうです。先日行われた15周年パーティはたくさんの常連さんが溢れ、お店に入りきらず廊下も開放したとのこと!円熟味のあるマッシュルームというお店は、今後も安定した経営をされていくことでしょう。今後は、条件が揃えば、出身地やリゾート地などでの出店も考えたいと最後に仰った山岡オーナーシェフの自信に満ち溢れた素敵な笑顔が印象的でした。







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