星野 雅 イタリアンダイニング「まめぞん」@恵比寿

―いきなりですが、店名の「まめぞん」ってとても面白いですねー!しかも店名が平仮名でイタリアンという由来を教えて頂いてよろしいですか?
「まめぞん」実はフランス語がわかる方であればすぐにピンとくると思いますが、ma maisonという"私の家"という意味になります。フランス料理経験が長かったことと、自分の家に招かれたような居心地の良い空間で大切な人たちとの時間を過ごして頂きたくてこの店名にしたんです。でも、そのままフランス語の表記ではイタリアンじゃなくなりますよね?だからあえて平仮名にしてみたんです。そうしたらこれがなんだか良くわからない(笑)東京ならではのイタリアンというコンセプトでしたから、わからなくてもいいんじゃない?もしかしたら興味をもってもらえるきっかけになるかも!と思って決定しました。おかげさまでお客様から必ずと言っていいほど店名について聞かれますし、最近特にインターネットでイタリアン検索すると「まめぞん」の名前がヒットして「何これ?」と気軽に興味をもってお問い合わせ頂くことも増えてきましたね。
―ところで星野オーナーは、飲食業界はどの位関わっているのですか?女性オーナーですし、非常にお若い印象から年齢不肖な感じが気になりますね(笑)失礼ですが、少しご経歴を伺ってもよろしいでしょうか?
もちろん構いませんよ!
16歳で芸能界にあこがれて田舎の青森から東京に出てきました。何年かは芸能関係で仕事をしていましたが、18歳の頃に大恋愛をして娘を出産したんです。「ですから、私には22歳の娘がいるんです!」(取材担当者(驚!)わ、若い・・・)
でも、その後まもなくシングルマザーになりましたので、当時東京で一人での子育ては難しく、20歳の時に青森・弘前に帰りました。青森でモデルの仕事をしたりもしましたが、書店で販売の仕事をしてみたら結構楽しくなってしまい、店長に抜擢され、その後エリアのスーパーバイザーとなって社員研修の指導などまでするようになっていました。
23歳で最愛の父が亡くなり、その数年後にも母が他界してしまいました。自分を無償で愛してくれる二人を失ったことでひどく落ち込み、しばらくは休職することにしました。
―星野さんの10代から20代は人生の大きな出来事が集中したんですね。若い時期に色々なことが重なって大変だったことと思います。休職をされた後、どのようにされていたのでしょうか?
しばらくは本当に何も手につかない状況でしたが、弘前の飲食店で働く友人がバーテンダーコンクールに出場すると頑張っていて、その友人を見ていて私もこのまま落ち込んでいてもしょうがないと感じたんです。子供もいて何とかしなければと思い始めて・・・
それから友人の紹介もあり飲食の仕事を始めることになりました。もともとお酒も好きでしたから(笑)ちょっと気分転換にやってみようそんな気軽なきっかけだったと思いますね。
飲食の仕事を始めてからは、もともと人と接することが好きだったこともあって、色々興味をもって積極的になっていきました。そんな折、知人の紹介で東京のフランス料理で有名な「シェ松尾」のシェフから、東京で新しくオープンする新店舗の立ち上げを手伝ってくれないか?というお話を頂きました。私にとっての心機一転と考え、再び上京することを決心したんです。
上京後、「ブラッスリーオペラ シェ松尾」店の立ち上げを経験して、その後は松尾社長から「渋谷東急本店 シェ松尾」へ異動するように言われました。じつはこの異動先でマネージャー兼ソムリエだった、今の主人とも出会ったんです。
―星野さんの人生には大きな挫折もあれば、また大きなチャンスも訪れる。そしてそれを必ず生かすパワーが感じられますね。

そうですか?まだまだこれからです(笑)
その後、知人の紹介で都内の小さなフランス料理店を経営するオーナーから、お店を立て直したいので、主人と2人でなんとかお願いしたいとの依頼がありました。私たちもそろそろ個人店で力試しをしてみようかと考えていたこともあって、ここは受けてみようかということになりました。ところが、オープン後1年半以上の時間が経っており、26席ある店内はいつも閑古鳥状態。つまりマイナスからのスタートだったんです。早急に具体的なテコ入れをする必要があることは明らかでしたが、時間もお金もかけられない状態です。
場所は溜池山王にあり、すぐ後ろには六本木通りが人の流れを遮断していて、尚且つ、駅から微妙に遠いんです。まず最初に切り出しの価格設定をお客様に受け入れやすい金額にすることで来店動機とすること、ランチ・ディナーにおいてお客様が好みの料理を選ぶことによって満足度を高くするという手法を取ることにしました。
さらにお店を知って頂くために、外資系のOLやビジネスマンが多いエリアでしたので、ランチメニューから見直し、以前の単価¥2,500から中途半端なことはせずに、ギリギリの¥1,300にすることで勝負をかけることにしました。また、ランチ内容が変わったことをお知らせするために、店外で、雰囲気を出すために仕事服のまま直接、通りすがりの方たちに手作りのチラシを配りました。その効果もあって1ヶ月後のランチタイムは、1回転半という回転率となって手ごたえを感じることが出来ました。
さらにディナーコースも見直し¥3,800でプリフィックススタイルというカジュアルなコース設定を前面に打ち出しました。その年のクリスマスディナーは予約で満席になったんです。この時は本当に嬉しかったですね!
―素晴らしいですね!この努力の成果は自信に繋がりますね。
そうですね。ここでの経験で私自身成長できました。
このお店で新規のお客様を大事にしてリピーターに育てる。また、ランチタイムにも手を抜かないことが、近所の方たちにもお店の営業マンになってもらうことにつながる、地域に根づいた息の長い活気ある繁盛店になることを実感させられましたね。
―ここでの経験がきっかけで、いよいよ自分の店の実現に進むわけですよね。開業の準備にあたって資金や物件はどのように進めていったのでしょうか?
資金については、主人の両親のバックアップもあり、保証協会付けの銀行融資を引き出すことが出来ました。出店場所については「飲む」エリアではなく、「食」をターゲットとした恵比寿と決めていました。女性をターゲットとして考えていましたので、銀座・青山・恵比寿といったエリアの女性の方たちを見てみると、私にはとてもお洒落で、自分のために時間とお金おしまない、でもそんなに気取った雰囲気のない綺麗な女性が恵比寿には沢山いたんです。さらに飲食店を見る目が厳しい、本物を見極める方が多かったのも良かったんです(笑)だから是非、恵比寿で勝負したいと思ったんです。
―実際にこの物件の確保はどのようにしたんですか?
いきなり個人で不動産屋をまわってもなかなか相手にはしてはもらえないですから、とにかく足ですね(笑)かなり恵比寿は市場調査もかねて歩きました。レストランとしてのロケーションなども検証しながら、迷ってあまりブレたくないので恵比寿の大きいエリアのなかでここにお店があったら、という小さいエリアをいくつも決めて探しました。ある時、このビルが建設中だったのを見つけました。2階だけど専用の外階段もあって「これは!!」と思い、坪数は少し狭かったのですが、不動産会社に連絡を取り2・3日中にはここにしようと決めました。もちろん建築中のため、物件の内見などできる訳もなかったんですが(笑)
物件を探し始めてから物件契約までは3ヶ月だったので、思えばスムーズでラッキーだったのかも知れませんね。
―それはラッキーでしたね。以後オープンに至るわけですが、オープン当初の営業はいかがでしたか?

オープン当初は全然でしたよ(笑)でも、そんなに焦りはありませんでしたね。シェフがまだ若かったので多少なりとも助走の期間は必要でしたし、広告を派手にしても内容が伴わなければ逆効果なのはわかっていましたから。そのうち、少しづつお客様が来店して頂けるようになり、その方たちがリピーターとなっていったんです。1度来店してもらえればそこからは、今までの経験から培った得意分野の本領発揮みたいな感じですかね(笑)
―リピーターを増やすコツってなんでしょうか?
コミュニケーションを私はとても大切にします。ランチタイムなんかは「あれ?今日は顔色悪くないですか?」「何かいいことありました?」と結構、積極的に話しかけるようにしています。自分のことを思って話しかけてくれる人がいるお店って、とても嬉しいことだと思いませんか?ディナータイムは逆にコース料理で8品と皿数を多くすることで、自然にお客様とコミュニケーションがとれるようにしているので、あまり出過ぎないように心掛けたりもしています。
―長くこの仕事をされていて、今何か感じることはありますか?
レストランって劇場のようなものだと思うんです。お客様の人生のドラマの舞台になるのですから。嬉しいエピソードがあるのですが、ある新規のカップルが初デートの場所として来店して頂いた時があるのですが、女性が席を外したとき、男性に「とても可愛らしい彼女ですね」と声をかけましたら、すごく嬉しそうな顔をしていました。とても印象に残ったカップルだったと覚えていますね。それから約半年後のクリスマスに、その男性からご予約を頂いた時に、名前と声を聞いた瞬間ピンと来て「もしかして以前に・・・」とお伺いしたところ、「覚えていてくれたんですか!実は結婚することになりまして」と、とっても嬉しそうに教えてくださったんです。私もその言葉にとても嬉しくなり、二人の思い出のお店としてまた来たいと思って頂いたことに、さらに嬉しくなってしまいました。この仕事は嫌なことや大変なことも沢山ありますが、こんな素敵で嬉しいことがあると全部吹き飛びますよね!(笑)
―お客様からパワーを分けてもらうんですね。
そうですね。でも、うちの店をわざわざ選んで来られるのですから、私もお客様に頂いたパワーの少しだけでも与えられたらいいなって、常日頃から思っているんです。
お店を繁盛させたいって思ったら、働くスタッフが看板娘なるといいと思うんです。
なんていうか、それぞれが看板娘!看板親父!看板おばさん!それが最強の繁盛店じゃないかって。だから私も常に看板であり続けたいって思っていますよ。
いくつになっても(笑)
―最後になりますが、星野さんの今後の目標と飲食の独立を考えている方たちに、何かメッセージをお願いします。
そうですね、目標は・・・
60~70歳くらいで、もうひとつ色々な人たちが集うコミュニケーションのお店をつくって"恵比寿の母"になっていることでしょうか(笑)
飲食の独立については、ある意味、飲食業だけに限ったことではないのですが、私の考え方として、何事も1回上手くいかないことで諦めたら、それで終わりなんですよね。"継続は力なり!"マイナスのことを考えていても絶対に良い方向に物事は動きません。これは間違いないです!!マイナスをプラスに変えて生きていくには、何事も強くならなきゃね!くらいの、ある意味開き直りも大事です(笑)それがパワーに変わりますから。
【星野さんのお店のこだわり】
①無理をしてでもこだわった"カッシーナ"の椅子ですね。革だと空間がグッと締まって大人の雰囲気を味わえます。座り心地が良すぎて、ある意味で時間を忘れる椅子なんですよ(笑)
②小さな空間を少しでも広くみせる意味もありますが、カップルでいらしたお客様で男性が席を外された時に、女性って自分自身の顔をちょっと確認したいことってあるじゃないですか?その時にさりげなく使って頂けるようにも、この位置に取り付けてあるんですよ。
【インタビューを終えて】
色々な人生をご経験の中で、ピンチをチャンスに変えて、持ち前の明るいパワーで乗り切ってきた星野オーナーは、お話をしているとこちらまで元気になれる大変バイタリティーの溢れる素敵な女性オーナーでした。「人生あと何年生きられるか分からないからこそ、毎日を大切に楽しく生きたい」と語るオーナーの目はキラキラと輝いています。オーナーの魅力に惹かれ、お客様もどんどんと増えているようです。恵比寿の母になる日も、そう遠くはない話だと思いました。
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- 高野 年之 馨@麻布 »







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